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醤油作りと小豆島。発酵がなぜこんなに盛んなのか。

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醤油香る島 小豆島

今小豆島に来ています。

小豆島は醤油作りの盛んな島。

発酵食作りが今も生き残っている土地は日本各地にありますが、たいていは企業として生き残るために、「生き残るための企業努力」で、化学薬品を使った製法を選んでしまっています。

それによって原材料と生産時間のコストカットを選んだのです。

一方、小豆島の醤油蔵は、今でも正しい材料と作り方を選び、生き延び続けているのです。
※正しくは、目的に応じて作り分けている。

なぜそんなに、今でも正しい製法を守り続けられているのか?を知りたくて、海を越えて島に渡りました。

小豆島の産業の歴史

小豆島の名前の由来

小豆島(しょうどしま)はもともとは小豆(あずき)作りが盛んなところでした。

あずきが盛んな小豆島(あずきじま)から、やがて小豆島(しょうどしま)と呼ばれるようになるのです。

醤油作りに至った歴史

発酵、醤油作りが盛んになったのは、歴史をひも解いてみると理解が進みます。

それは遡ること約400年以上前。

戦国時代が終わり、日本は江戸時代という天下泰平の時代を迎えます。

美しい瀬戸内海の海から産業を起こすために、「赤穂の塩」で有名な赤穂から塩作り職人を呼び寄せ、小豆島でも塩作りを始めます。

ただ、日本は島国のため、海に面している土地では塩づくりが多く行われ、競合が多いことからやがて塩づくりだけでは豊かな生活はできないことに、直面することになるのです。

そこに江戸時代中期になると「北前船」という大阪と北海道を結んだ経済動脈が生まれます。

北前船とは、大阪と北海道を結ぶ経済航路で、大阪から積み荷を載せた船が、小豆島を経由し瀬戸内海を九州に向かって進みます。

北九州の関門海峡から、日本列島をなぞる様にUターンし日本海外に抜け、山陰・北陸・佐渡・秋田から津軽海峡を通過し、北海道に到着する海運ルートとなります。

帰りは、北海道で採れた大豆をはじめとする、豊かな農作物を載せ、来たルートを通って、再び大阪の港に戻ります。

ルート上に位置する小豆島は、大阪経済圏が近く、しかも材料を手に入れるにも利便性が良かったのです。

醤油の原材料は「大豆」「小麦」「塩」の3つのみ。

マルキン醤油さんの「マルキン醤油記念館」には、当時の取引を記録した大福帳が展示されており、大豆は北海道から、小麦は九州から取引されていたことが記録されていました。

江戸時代、通常なら手に入らない北や南の作物を、北前船が小豆島に運んできてくれていたのです。

塩はもちろん、地元の小豆島産。

北前船により、小豆島での醤油作りに大きく拍車がかかったのです。

発酵に向いている小豆島の気候

北前船は、発酵食の発展に大いに貢献しました。

そのおかげで、北前船の泊まる港がある小豆島・北陸・新潟などは、今も発酵食が作られているエリアです。

その中でも小豆島が、今もなお発酵食作りが息づいている理由は、地理的な条件と気候が発酵に非常に向いていたこともあります。

発酵には菌の活躍が大切です。

発酵に必要な菌が、機嫌よく働くためには「適度な温度」「適度な湿度」が必要となります。

小豆島は、地中海の気候と非常によく似ていることから、オリーブの生産も盛んです。

瀬戸内海は気温が温暖で雨が少ないことから少しカラッとしています。

醤油作りには、少し乾燥した空気の方がよく発酵が進むのです。

気候もまさに醤油作り向け。

そして四国は、台風銀座とも呼ばれるほど、台風がよく通過する地域です。

しかし、北は中国山地、

南は四国山地、

東は淡路島、

西は豊島・直島・児島半島で

ぐるりと回りを囲まれています。

これが1重目の防壁。

さらに、醤油蔵が集まる小豆島町付近は、島の入江に位置しており、まるで醤油蔵たちが抱きかかえられているように守られているのです。

これが2重目の防壁となって、2段構えで台風の暴風雨から、醬油蔵を守っている地理的優位性があります。

それぞれの蔵では、400年も使い続けられている木桶がいまも使われていたり、築400年以上の土壁の醤油蔵がいまも、しっかりと酵母と麹菌を守っています。

台風の影響が非常に少ないおかげで、蔵の中の湿気を調整してくれる土壁がいまも尚現役で活躍しているのです。

2極化した醤油作り。小豆島の醤油蔵の選んだ道

振返ってみてください。

醤油を食べなかった日はあるでしょうか?

よっぽどで無い限り、日本人のほとんどが何かしらの料理で醤油を口にしていることでしょう。

それぐらい、日本人にとっては無くてはならない調味料なのです。

戦後、日本の醤油メーカーで起きたことは、質の2極化です。

大手メーカーがステンレスタンクで大量生産を開始し、プラスチックボトルに詰めた醤油を量産しはじめました。

企業としては利益を出し、企業存続を目指さなくてはなりません。

そのため、原材料のコストカットが始まります。

化学的な食品添加物を使用することで、安く・短期間で醤油を作り始めるのです。

この波に、日本中の醤油蔵は飲み込まれていきました。

大量生産される安い醤油に対抗するために、同じように食品添加物を使い始めたのです。

そこにさらに追い打ちをかけたのが、1963年に制定された「中小企業近代化促進法」です。

「中小企業近代化促進法」に基づき各都道府県に協業組合がつくられ、主に仕込から圧搾までの工程の集約がおこなわれるようになりました。

つまり、もう自分の蔵で醤油を作ることを諦めてしまったのです。

一方、小豆島が選んだのは、大手メーカーや時代を逆行する道で、

素晴らしい材料を使った最高の醤油を作る方向へ舵を切ったのです。

また、小豆島の醤油蔵を何軒か訪問しているうちに気が付いたことは、それぞれの醤油蔵が、種類によって住み分けをしていることです。

醤油の種類は『たまり』・『再仕込み醤油』・『濃口醤油』・『淡口醤油』・『しろたまり』の5種類に分けられます。

例えば「ヤマロク醤油」さんは『再仕込み醤油』と『丹波黒大豆を使った濃口醤油』の2種類のみを作っています。

また「ヤマヒサ醤油」さんは『淡口醬油』と『濃口醤油』に特化しています。

日本の醤油のシェア約85%が『濃口醤油』のため、市場の大きい濃口醤油をベースに生産した上で、それぞれの蔵のこだわりの醤油を作り、”こだわりの醤油”の部分で蔵の差別化・特徴を出してきています。

また、醤油だけの消費に頼っていないという小豆島の努力もあります。

いずれ醤油だけでは、先細ってしまうことを見越して「佃煮用の醤油の生産」にも乗り出します。

日本の佃煮屋さんの醤油の半分は、小豆島産です。

・最高級戦略

・小豆島の蔵ごとの、種類の住み分け

・安定した大量出荷先の確保

この3つが、今も尚、それぞれの蔵が生き残り続けられている理由です。

小豆島の醤油蔵が抱える問題点

これまでのことを読むと、まるで前途洋々のように聞こえますが、小豆島の醬油蔵も減少しているのが現状です。

2021年4月時点で20の蔵しか残っていません。

”20の蔵しか”と書きましたが、一つの地域に20も残っていればすごいのでは?と私自身は思うのですが、地元の人に言わせると「20に減ってしまった」ということなのです。

理由は、日本国内の消費量そのものが減ってきているからです。

海外での「Soy Sauce」人気はうなぎ登りですが、海外向けに主に輸出しているのは、大手メーカーなのです。

また、由緒正しい作り方をしている小豆島の醤油蔵では「杉樽」で作るところが多いのですが、この『樽作り職人』が後継者がおらず、とうとう日本から一人もいなくなってしまいました。

小豆島の醬油蔵は「木桶職人復活プロジェクト」を作り、樽を作るところからスタートすることを余儀なくされています。

一消費者としてできること

化学調味料を使わず、良質な丸大豆と良質な小麦を使って長い時間をかけて発酵させて作っている、小豆島の醬油蔵。

この蔵がこれからもずっと先の将来も生き残り続けるために、自分には何ができるだろうか?と考えました。

出来る事は、正しいお醤油を買って、使い続けることではないでしょうか。

それは蔵のためでもありますが、化学調味料を体に入れないことで、自分の体を守ることにもなります。

ぜひ自分のために、正しいお醤油を、小豆島の醬油を使ってみてはいかがでしょうか。

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