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左足首剥離骨折した、ことの顛末 : 日記2018/5/26

左足首を剥離骨折した。
その事の顛末を記録しておく。

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全てがスムーズに進むはずだった

2018年5月26日(土)
この日は、「築地市場でお買い物&お魚を捌くツアー」イベントで、朝7:30に築地へ到着。
いつものドトールで、お茶を飲みながら一日の段取りを頭の中でなぞる。

市場見学の後はキッチンに戻り、お魚捌きクラスを実施予定。
築地に来る前に、キッチンに立ち寄り8割方の準備は整えてあるが、あと2割をどういう流れて巻き取ろうかと算段する。
お魚捌きクラスの後は「ぬか床仕込みクラス」も予定しているため、その準備の流れも確認。

ぬか床仕込みクラスの後は家族の誕生祝いのために、上野で食事会もある。
食事会は本当ならばその一週前の19日にする予定だったが、Webミーティングが入ったため家族たちの了承を得て、お店にも頭を下げて日程を変更してもらったので、遅れないようにしなくてはと確認する。

「どうか今日一日、無事ですべてがうまく運びますように」と心の中で祈る

8:00にお客様と合流し、築地市場へ向かう。
全員初めて会う方ばかりだったが、集合場所に迷うことも無く、時間に遅れることも無く合流できて安心する。

お客様を連れて、今日の一日の流れとトイレ・休憩の場所について説明しながら築地場内へ向かう。
一緒に歩きながらウキウキされている様子が伝わってくるのと、どんなにこのイベントを楽しみにしていてくださっていたかを聞き、こちらまで嬉しくなる。

道路の一部が陥没していて、そこに嵌る


築地場内へ入る正門は、自動車の交通量が多いため普段から自分は使わない。
この日も同じように脇道から場内へ向かうことにする。

脇道から場内の食堂が並ぶ一角にお客様を案内しながら、頭に入れていた『築地市場のデータ』をお話しする。
お話しするときは横を向いてお客様の顔をみていた。

が、その時・・・
道路の一部が、直径4~50センチほどのいびつな円で陥没していた。深さは20㎝ほどだったろうか。
前のめりで陥没部分の中に転倒。

右ひざを陥没の淵に思いっきりぶつける。
心の中で思ったのは「あ~ジーンズが破けていなきゃ良いな」と「ジーンズ中で出血したかな?」だった。
出血するとジーンズを汚してしまってみっともないなと。

左足首は内側に捻っていた。
昔バレエをやっていたころから捻挫は日常茶飯事。
頭の中では「捻挫したな。。いや、捻挫でなくて、もしかしたら感覚的にヒビが入ったかも?レントゲンを撮ってもらって確認した方が良い」と思ったが、今日のスケジュールの中で病院に行くタイミングは、この時点ではどこにも見当たらないので、とりあえず頭の隅に追いやる。

まずは、無事に「築地ツアー」と「ぬか床クラス」を終わらせようと、気持ちを切り替えたらアドレナリンパワーか?痛みはかすかにしか感じられなくなる。

6年前にもバレエのリハーサル中に複雑骨折をしていて、これまたアドレナリンパワーか?折れた足で歩いて病院まで行った経験がある。
どちらかと言うと、整形外科的ケガはさんざんやり過ぎて、痛みには鈍感な方かもしれない。

捻挫など「全治2週間」と言われてもたいてい3-4日で治り、5日目からはレッスンを再開していた。
まったくもってそれで支障は無かった。

クラス終了後焦り始める

無事に築地ツアーとお魚捌きクラスが終了。
朝に、頭の中で段取りした通りに、急いで後片付けをし自転車に乗って日本橋高島屋へ必要なものを買いに走る。
それから「ぬか床仕込みクラス」をスタートし、こちらも無事に終了。

クラスが終わるまで、痛みなどは全く頭から消えていた。
おそらく、築地でもぬか床クラスでもお客様からは”私の足”のことのなど気付いていないと思うし、自分も忘れていたほどだった。

ぬか床クラスが終わり、すぐに後片付けを始める。
翌日は「みりん仕込みクラス」があるため、その材料の下準備もしなくてはならないので、1分でも惜しい。
しかし、準備をしたいのに急に左足首が主張し始めたのだ。
「ヤバいですよ!ヤバいですよ!ヤバいですよ!」

靴下を脱いでみると、見事に青紫色に腫れ上がっていた。
あ!この腫れ具合と色には見覚えがある!!!そうだ骨折した時の症状だ!!!
これは捻挫でも無く、おそらく骨折だろうと気づいた。

会食までの空き時間は1時間も無い。
おりしも土曜日。
前回の複雑骨折の時も土曜日で、さんざん病院をたらい回しにされたのだと、記憶などひっぱり出さなくてもすぐに思い出す嫌な気持ちが目の前に突き付けられる。

先に病院に行くか?
後に病院に行くか?
一瞬迷った。
もうこれ以上会食の日程を変更するのも嫌だと思ったことと、どちらにしろまたたらい回しにされて時間だけがかかり嫌な気分で電話をかけ続けることになるのだから、先に会食を済ませておこうと決める。
それに、朝、築地市場で悶絶級の美味しさだった「ブリの塩焼き」を食べただけで、何も食べていないのだ。お腹が空いた。

そこで病院を後回しにして、自転車で上野広小路のしゃぶしゃぶ屋へ向かう。

正直、A5クラス山形牛のしゃぶしゃぶは、痛みを忘れるほど旨かった。
しかも食べ放題である。野菜などそっちのけでひたすら山形牛を食らう。
たぶん胃の中はA5肉だけで満たされていたと思う。

痛みを忘れるほど美味しかったのだが、次第に歩行困難になってくる。
トイレに行くにも一苦労となってきた。

しかし、食べ放題は2時間制なので痛くても痛く無くても、2時間後には病院に行けると思っていた。

延々と病院たらい回しの刑が始まる

会食が終わり、この日のスケジュールが終了。
しゃぶしゃぶ屋を出たところで「アタシ、病院に行くから先に帰っていて」と家族たちに言って先に帰ってもらう。
家族たちは「なんだかヤバそうだけど、好きなようにさせてあげるのが一番」と普段から思ってくれているので、素直に帰ってくれた。

上野広小路の交差点で、まずは東京消防庁の救急相談センターに電話をして病院を紹介してもらうことにした。
救急相談センターでは外科がある病院を3つ紹介された。

この時、前回の骨折時は口頭で紹介されたのだが、今回は最初の受付だけは担当の人が出て、あとは音声ガイダンスが病院名と電話番号を伝えてくれる。
業務効率化なのだろうか?

上野広小路から電話をかけていることから機械的に検索され紹介されたのが以下の3つの病院である。
・東京大学附属病院
・順天堂大学病院
・東京医科歯科大学病院

聞いた瞬間、絶望した。
どこも大きな大学病院ではないか!
前回の骨折時もさんざん大病院はたらい回され、そして唯一「手術になった場合は病床が空いていないので転院してくださいね」という条件付きで東京医科大学病院に数時間後に受け入れてもらえた。
(けれど、手術が必要な骨折だった。。)

絶望しつつも、まずは東京大学附属病院へ電話する。
受付の人が出て整形外科へ電話を転送するも、15分もコールしつづけて誰も出ないので一旦切る。

次に順天堂大学病院に電話する。
今日は整形外科医が不在なので受付出来ないと断られる。

東京医科歯科大学へ電話する。
こちらも今日は整形外科医が不在なので受付出来ないと断られる。

再度東京大学附属病院へ電話する。
ようやく繋がって、整形外科医と話ができるも「こちらは、いますぐ麻酔を打って手術をしないと手遅れになりそうな患者がいて対応できない」と言われる。
「手術が終わるまで待っています」と答えると「そうとう時間のかかる手術になるので今日中に診られない可能性の方が高いです」と返される。
しばらくやりとりしていたが、私は命に別状が無いしこうやってやりとりしているうちに、手術待ちの人の命の危険が迫ってくるかもしれないと思い電話を切る。

そこで上野広小路から近い、三井記念病院、永寿総合病院へ電話するも同じく「整形外科医が不在」と言われて断られる。
あとから聞いた話しだが、この日、神戸で整形外科学会があり、東京にいる整形外科医はそちらに行っていたのかもしれない。

怪我の痛みより、心の傷の痛み

どこの病院にも行けず、仕方ないので翌日のみりん仕込みクラスの準備をするために、一旦キッチンスタジオに戻ることに。
自転車で上野広小路まで来ていたため、上野ABAB横に置いた自転車のところに戻る。
自分の自転車を出した途端に、狭い路地に車が入ってきたため、もう一度自転車が並んでいるところに自分の自転車を入れようとした。
すると、両脇の自転車にぶつかりドミノ倒しにしてしまう。
泣きそうな気分で、自分の自転車のスタンドを立てようとするが、ここにきて猛烈に足が痛くなり思う様に自転車を立てられない。

自分の自転車も倒してしまうと同時に、一番近い自転車のスタンドに両足を挟んでしまって、じぶんも転倒してしまう。。
するとそれを見かねた、私服だけど腕に黄色の「警備」と書かれた腕章をつけたおじさんに、助け起こされて自転車も起こしてもらった。
「今日初めて、人に親切にされたなぁ」とそこで感じた。

キッチンスタジオに戻るも、痛みと無気力で何もしたくなくなり、そこでぼんやりと一晩を過ごすことに。
そこで初めて、涙が出た。
(自分が選択したことではあるが)なかなか病院に行けない事情と、救急相談センターに機械的に絶対に無理であろう大病院を紹介された不親切と、コールしてもコールしても出ない電話の先に待っている断りの言葉。
そして再びの転倒。

私は怪我の痛みに涙が出ているのでは無くて、心が傷ついているんだという事にそこで気付いた。

翌日、治療を受けられる

医療関係の友人からフェイスブックメッセージで夜のうちに、地元葛飾の病院を紹介してもらっていたため、翌朝、そこに電話をしてみた。
やはり整形外科医が不在という事で断られるが、診療をやっている葛飾区内の病院を紹介してもらえた。

すぐに病院に向かって戻ることを考えてみると、みりん仕込みクラスには間に合いそうだと思ったが、これだけ整形外科医がいないのだから、待たされることを考慮すると、みりん仕込みクラスは中止にした方が安全だと判断し、すぐに参加者方に連絡をし中止に。

そこで「剥離骨折」と診断される。歩かなければ痛みはさほど無いので、「レントゲンで確認できたこと」「自分の現状が把握できたこと」「治療をしてもらえたこと」で心底ホッとした。

治療が終わった後、みりん仕込みクラスの準備をしたままだったため、再びキッチンスタジオに戻り後片付け。
後片付け中、みりん仕込みクラスの時間になり、中止連絡を見逃してキッチンに来てくださった方にお詫びをし、一通り後始末が終わってやっと家に帰れたのである。

感じたこと

幸か不幸か、ケガには慣れているため、剥離骨折したことにはさほどショックは受けていないのだ。
それよりも、色んな事が重なり、心が折れてしまったことの方が悲しかった。

ギブスで自由を奪われてしまったこともショックである。
1メートル歩くのに、両松葉杖だと普段の10倍の時間と労力が必要なのだ。
片松葉杖だと5倍ほど。

しかし、心の方が足よりもずっとずっと傷ついて熱を持って腫れ上がってしまった。
たぶんSNSでも多く呟いていると思う。
そしてその度に色んな人が励まし、アドバイスしてくれていた。

世の中にはそれを見て「かまってチャンよねぇ」と思う人も多いと思う。
そうなのだ、かまって欲しかったのだ。だって、足よりもずっとずっと遥かに深く鋭利にグッサリと、心が傷ついてダラダラと血を流していたから。

上野広小路では、冷たい電話ガイダンスを聞かせる病院よりも、自転車と一緒に倒れた時に助け起こしてくれた見知らぬおじさんの方がずっと英雄に思えたし、SNSで励ましてくれる友人たちが全員マザーテレサの様に慈愛に溢れていたように感じた。

私は医療の知識は無いし、医学的には何もできないけれども、誰かが倒れたらすぐに助け起こすために走り、誰かが傷ついてSNSで呟いていたら一言でも良い、励ましてあげたい、そう思った怪我の顛末。

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