自宅の台所の布巾類を整理しようと思い、カゴにまとめて取り出しやすくしたくなり100均へ行く。
すると、リカちゃんもどきの「エリーちゃん」と目が合った。
ひょえー。今やこんな物も100均で買えるのか!
着替えも豊富にあり、ビックリ。
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リカちゃんの思い出
もちろん、私もリカちゃんで育った。
人形遊びが大好きで、四六時中リカちゃんで遊んでいた。
父親はウッカリ『人形が好きな娘』と勘違いしたらしく、どこかに出かける度にお土産に”博多人形”だのお土産屋によくある貝でできた人形だの、ボタンを押すと喋る人形やら、日本人形など買ってきてくれるが、見向きもしない。
どんどん父の買ってくる人形が家に溢れてきていたものである。
また、大阪に住む叔母が、バービーを買って送ってくれたのだが、それも見向きもしない。
今なら超クールと喜ぶのだけど、なんだか外人顔でバタ臭くやたら足の長いバービーには目もくれなかった。
そんな『リカちゃん命』の私には、二人のリカちゃん友達がいた。
たくさんのリカちゃんを持っているななちゃん
一人は、ちょっと裕福な家の幼馴染。
私が唯一無二のリカちゃんを持って遊びに行くと、友達のななちゃんは
リカちゃん(数体)
いずみちゃん(今はいない)
パパ
ママ
ボーイフレンドのワタルくる(今はいない)
双子の妹
など、リカちゃんファミリー総なめで持っていて、リカちゃんハウスも新しい物が発売される度に、揃えられて大豪邸だった。
けれども、不思議に凄いなとは思ったが羨ましい気持ちは湧かなかった。
自分のリカちゃんは、お洋服をたまに買って貰えるぐらいだけど、母から貰ったハギレで(ボロボロだけど)手作りの洋服もたまに着て、Myリカちゃんが一番ステキだと思っていて、溺愛していた。
友人のリカちゃんは、たくさんあるけどおもちゃ箱に山積みされていて、なんだか汚れているなぁと。
子供心に”私のリカちゃんには心があるけど、ななちゃんのリカちゃんはただの”物”な気がする。”と感じていた。
かっぱえびせんの、くみちゃんのリカちゃん
幼稚園からいつも一緒だったくみちゃん。
ななちゃんは、幼稚園に行くにも雨が降った時は小学校にも、車で送り迎えして貰っていたので、幼稚園と小学校にはくみちゃんと通っていた。
くみちゃんはリカちゃんを持っていなかった。
けれど、くみちゃんも人形遊びが好きだった。
くみちゃんが、ウチに遊びにくると私はリカちゃんで遊ぶので、バービーちゃんを貸してあげていた。
くみちゃんの家に行くときはいつも、リカちゃんとバービーちゃんを持って行っていた。
くみちゃんの家はそんなに裕福では無かったので、リカちゃんを買ってもらえなかったのだ。
くみちゃんの家で、リカちゃんを貸して貰えない娘を不憫に思ったのだろうか?
くみちゃんのお母さんは、その頃「かっぱえびせんの抽選でリカちゃんプレゼント」があったので、オヤツの空袋をせっせと集めては応募していた。
ある日、くみちゃんの家に2体の人形を持って遊びに行くと、真新しいリカちゃんを持って迎えてくれた。
「どうしたの?」と聞くと
「お母さんがね、かっぱえびせんで当てたの!」と
それはそれは嬉しそうな顔で良いながら見せてくれた。
その時、無性に羨ましいと思った。
「ちょっと貸して」と言っても貸してくれなかった。
ますます、羨ましいと思った。
私は充分両親から愛されて育って来たと思うが、子供にはその愛と言う物はちっとも分からないものだ。
しかし、その時初めて『親の愛』を目の当たりにして、羨ましいと思った。
リカちゃんにも、くみちゃんのお母さんの愛にも。
今でもリカちゃんを見ると、真っ先にくみちゃんのことを思い出す。
そして、くみちゃんとリカちゃんと、くみちゃんのお母さんの笑顔が頭の中に蘇るのである。