読了
読み進むのに、とても時間がかかった。
読みにくいという意味では無い。
私の場合、一文に触れるたびに自分の中にあるアディクションと対話したくなるからだ。
対話して、今、自分に何が起きていて、そこにある絶望は?その奥の希望は?を探っていく。
この繰り返しを左手に、自分が受けたセッションを右手に乗せて、眺めてみたり合体させたり切り離したりしていた。
そうやってこねくり回すことで、体と頭が次第にいい具合に切り離されていった結果、渇きという絶望と愛という希望が出てきた。
しかし愛は渇きを生んでいて、渇きは愛を求めていることにも気づいた。
「読む」という旅の中で”気付いた”ので、ひとまず”それでいい”ということにする。
読み終わったと同時に旅が終わった。
ここまでで、まるで地球を一周するぐらいの長い旅に出ていたような気分になった。
きっとまた手に取って、自分の中を旅したくなる、そんな本で、だからと言って私にとって気軽に手に取れるものでもなくて、行き詰まってもう苦しくてどうしようも無い、という時に手に取ると思うのだ。