今やらないときっと後悔する。
ウォーキングの習慣が順調に周り始めた。
と書くと、「すごいね。スタートから今まで頑張ってきたんだね」なんて思われるかもしれない。
自分の周りの人たちがそうであるように、自分自身もコツコツ小さく継続してきたのかと言うと、実はまったくそれに当てはまらない。
途中で嫌になったり、挫折しかかっていたりしていた。
これは今回のウォーキングに限った事ではなく、今まで生きて来たなかで、何か目標を立てて達成に向けて継続出来てきたかと聞かれると、どちらかと言うと中だるみをしたり途中挫折する事の方が多かった。
しかし、今回は少し違う。
どう違うのか。
情熱なのか?????いや今までも情熱はあったし今回も変わらない。しかし、情熱だけでは足りなかった。
世の中で今よく取り立たされているタスク管理か?????いや今回もタスク管理すらも途中で放棄した。
自由に使える時間ができたのか?????いや昔も今も時間に追われてばかりで、追えることができていない。
では一体何が私を動かしているのだろうか。
それは『経験』である。
いままで、実際にいっぱい挫折を繰り返してきた。
ウォーキングにしてもそうだ。今回初めてウォーキングの習慣化をしようと思った訳ではない。
公演に出るまでに、踊っても踊ってもバテ無い身体を作るためにウォーキングやジョギングをしようと何度も思った。
始めてはみるものの、やがて面倒になったり目先の楽しい事や楽なことに流されて後回しにしたり、
楽しい事だけではなくてもすぐにやらないといけない事を優先して、将来の自分のための積み上げは「今は良いかな」などと妥協したりているうちに結局出来ずに終わってしまう。
出来ずに終わってしまっても、若さと気力でなんとか本番をやり抜けてしまったり、本番に強いタイプなため火事場の馬鹿力でどうにかなったりしてしまう。
しかしだ。
どうにかやり抜けても、自分自身に「クオリティはどうだ?」と問いを投げかけて見たときに、とてつもなく後悔ばかりが残ってしまっている。
「あぁ、あの時のジャンプ。一見上手く行ったように見えたのは良かった。しかし、納得のいく出来では無いことは確かだ」という気持ちはどこか残る。
公演だけではない。受験、試験、オーディション、写真展、スキルアップ。。。何かにつけ中途半端なやるせない気持ちが残り、不合格、批判、結果が出ない時など、辛くて悲しいことばかり積み上がってしまう。
それでも、合格したり、称賛の言葉を頂いたりすると、非常に嬉しい。
嬉しいが心のなかには、何か染みの様なものが残って来ていた。
もう、あの辛い経験はしたくないのだ。
後になって「あぁあの時、ちゃんとやっておけば良かった」と思うのがもう嫌になってしまった。
よく「勝ち癖をつけろ!」という言葉が自己啓発系の雑誌の表紙を飾っている。
あれを読むと、そんな綺麗ごと言ってもね。。。と少し胡散臭い気がするのだ。
勝たなくても良いのだよ、私は。
ただね、もう後悔したくない。それだけ。
「あの時やっていれば、、、」って思うのがもう嫌なんだ。
『今やらないと、きっと後悔する』
たった、それだけだ。
そう思える様になったのは、自分自身に負け続けた自分だからこそのエネルギーだと思う。
勝ち続けることは素晴らしい事だとは思うけど、負ける経験も悪くないと思う。
継続出来なかった悔しさを知っているってことは、それだって十分エネルギーになり得る。
嫌な辛い経験をたくさん積んできたからこそ、今の自分を奮いたたせる事が出来ているんだと思う。
今一番私の原動力になっているもの。
それは『経験』