会津若松2泊3日旅行記③|会津若松・鶴ヶ城へ|巨大なお堀に圧倒された、戊辰戦争の舞台を歩く

桐屋・権現亭で会津のお蕎麦を楽しんだあとは、今回の会津若松旅でぜひ訪れたかった鶴ヶ城へ向かいました。

会津若松といえば、やはりここは外せません。

ところが、上町方面から鶴ヶ城へ向かって歩いていると、お城の周囲は大きな木々に囲まれていて、肝心の天守がなかなか見えてきません。

「もしかして、思っていたより小さなお城なのかな?」

そんなことを考えながら歩いていました。

ところが――。

鶴ヶ城の敷地に入った途端、その印象は一変しました。

いきなり現れた、想像以上に大きなお堀

鶴ヶ城入口の案内を見ながら進んでいくと、目の前に現れたのは立派な石垣と、広々としたお堀。

思わず足が止まりました。

私は大阪城のお堀を見たときにも、その規模の大きさに驚いたのですが、鶴ヶ城のお堀も負けていません。

幅のある水面、その向こうにそびえる石垣。

「えっ、こんなに大きなお城だったの?」

さらに歩いても歩いても続いていく城郭。

写真だけでは、なかなかこのスケール感が伝わらないかもしれません。

そのとき思わず口から出たのが、

「会津松平家、すご……」

という言葉でした。

ただ、あとから調べてみると、現在につながる鶴ヶ城の大規模な城郭づくりは、蒲生氏郷が石垣や天守を備えた城を築き、その後、加藤氏の時代に西出丸・北出丸などが整備されていったもの。

そして1643年以降、保科氏・会津松平家の居城となりました。(一般財団法人 会津若松観光ビューロー)

つまり、このお堀や石垣を見て感じた「会津藩すごい」という迫力は、何代もの城主によってつくられてきたものなのですね。

城内には井戸も残っていました

お堀を越えて城内へ入っていくと、今度は井戸が目に入りました。

城を見学していると、つい天守や石垣ばかりに目が向きますが、こういうものを見ると、

「ここで本当に人が暮らしていたんだ」

ということを実感します。

覗き込んでみると、深〜〜〜いところに水面も見えました。

そして鶴ヶ城といえば、戊辰戦争。

1868年、会津藩は新政府軍に包囲され、鶴ヶ城で約1か月にわたる籠城戦を戦いました。(あいづ観光)

「この井戸も、籠城のときに使われたのだろうか?」

そんなことを考えました。

実際、城内には複数の井戸があり、水は長期の籠城を支える重要な存在でした。(鶴ヶ城会館「ツルカン」)

食料ももちろんですが、何千人もの人が城の中に籠もって暮らすには、水がなければどうにもなりません。

こうして現地に立ってみると、「籠城」という歴史上の言葉が、急に現実味を帯びてきます。

戊辰戦争で1か月耐えた「難攻不落」の城

鶴ヶ城は、戊辰戦争で新政府軍から激しい攻撃を受けました。

それでも新政府軍は城内に攻め入ることができず、鶴ヶ城は約1か月に及ぶ攻防戦に耐えています。

その堅牢さから、現在も「難攻不落の名城」として紹介されています。(あいづ観光)

実際にお堀と石垣を見ながら歩くと、それも納得します。

水をたたえた大きなお堀。

その上に続く高い石垣。

さらにその先にも防御のための造りがある。

現代の私たちはきれいな景色として眺めていますが、これはもともと敵を城内へ入れないためにつくられたものです。

「ここを攻めるのは大変だっただろうな……」

と、歩きながら何度も思いました。

「明日の夜は何国の誰か ながむらん」

城内を歩いていると、山本八重について書かれた案内板がありました。

そこには、

「明日の夜は 何国の誰か ながむらん なれし御城に 残す月影」

という歌が紹介されています。

1868年9月22日、会津藩が降伏を決めた夜。

山本八重が城の壁に残したと伝えられる歌です。

明日になれば、この慣れ親しんだ城は誰のものになっているのだろう。

そんな思いで月を眺めていたのでしょうか。

お城の壮大さに驚いていた気持ちが、この案内板の前では少し変わりました。

ここは「きれいなお城」ではなく、

実際に戦争があり、人々が生きるか死ぬかという時間を過ごした場所

なのだと、改めて感じます。

現在の天守は1965年に再建されたもの

ようやく木々の間から天守が見えてきました。

白い壁に、幾重にも重なる屋根。

近づいていくと、最初に「小さいお城なのかな?」と思っていたことが申し訳なくなるほど立派です。

ただし、現在私たちが見ている天守は、江戸時代からそのまま残っているものではありません。

戊辰戦争後も天守はしばらく残っていましたが、1874(明治7)年、政府の命令によって石垣を残して城内の建造物が取り壊されました。

現在の天守閣は、1965(昭和40)年に再建されたものです。(あいづ観光)

さらに2011年には屋根を赤瓦へ葺き替え、幕末当時の姿が再現されています。(一般財団法人 会津若松観光ビューロー)

ですから、

天守そのものは復元でも、石垣や城跡には本物の歴史が残っている。

そこが鶴ヶ城を歩く面白さなのだと思います。

天守閣へ上って会津若松を一望

せっかくなので天守閣にも上りました。

内部は博物館になっていて、会津の歴史や歴代城主、戊辰戦争などについて紹介されています。(あいづ観光)

そして上まで上ると――。

会津若松の町、その向こうには山々。

下を見ると、自分が歩いてきた城内や芝生広場も見渡せます。

地上を歩いているときには「大きい!」と思っていた城内ですが、上から眺めると、改めて城を中心に町がつくられてきたことを感じます。

「お城を見る」より「城跡を歩く」のが面白い

今回、鶴ヶ城を訪れて印象に残ったのは、実は天守閣だけではありませんでした。

むしろ、

お堀の大きさ。
石垣の高さ。
城内に残る井戸。
赤い橋。
そして戊辰戦争の記憶。

それらをひとつずつ見ながら歩くことのほうが、強く心に残りました。

お城を遠くから見て写真を撮るだけでは、おそらく私はここまで鶴ヶ城の大きさを感じなかったと思います。

上町方面から歩いてきたときには木々に隠れて天守が見えず、

「意外と小さなお城なのかな?」

なんて思っていたのに。

お堀を目の前にした瞬間、

「これはすごい城だったんだ」

と一気に印象が変わりました。

会津若松へ行ったら、ぜひ天守閣だけではなく、少し時間を取ってお堀の外側から城内へ歩いてみてほしいと思います。

鶴ヶ城が「難攻不落の名城」と呼ばれた理由が、少しわかる気がします。

そして何より、ここで起きた歴史を知ってから歩くと、見えてくる景色がまったく違います。

桐屋・権現亭のお蕎麦から始まったこの日の会津若松散策。

お腹を満たしたあとは、会津の歴史のど真ん中へ。

鶴ヶ城は、想像していた以上に大きく、そして想像していた以上に心に残る場所でした。

初日終了

お城を出た後、お城近くのバス停から巡回バス「あかべえ」に乗ってホテルへ。

17:00ごろホテルチェックイン。

AIからは「夜は近くの居酒屋で馬刺しなどの郷土料理を堪能」と勧められていましたが、しょっぱなの「電車不通」というアクシデントやら、お城の周りを結構歩いたこともあり、初日は終了としました。

夜はコンビニで軽食を買って済ませることに。

21:00には就寝、、というか爆睡。

AIが作ってくれたスケジュールとは違った一日になりましたが、自分としては美味しいお蕎麦も食べられて、鶴ヶ城も見学できて大満足。

2日目も楽しみます。